ディケンズとスタンダール、とバルザック

豊橋を終えて広島にやってきた。

広島は道が広い。路面電車の町。あと、とにかく川の町。

川ばかり。デルタ、デルタ。川はいい。しかし歩いていてなかなか町を掴みにくい。広い。

まだまだ先がありそう。明日から2日本番。終われば久しぶり最後の関西、大阪だ。

 

ディケンズ「二都物語」を、次いでスタンダール「パルムの僧院」を読んだ。

どちらも作家自体、初読。

前者は1859年刊行。フランス革命中のロンドンとパリを舞台にした物語。

後者は1839年刊行。ナポレオン戦争後のイタリア北部を舞台にした物語。

 

「二都物語」は、戯曲的な構成。近代を舞台にしたシェイクスピアといった趣き。五部構成で、主要なシーンはダイアローグで展開される。筋はやや荒唐無稽なところもある。ロンドンの筆致の躍動感に比べて、革命下のパリの描写のなんと観念的で抽象的なこと。

解説で中野好夫が好き勝手書いているの面白かった。

しかし歴史物語の書き方としてはある基本を押さえている感はあり、場所の飛ばし方、時間の飛ばし方、視点の切り替え方など、参考にはなった。「ディヴィッド・コパフィールド」も読んでみたい。

 

「パルムの僧院」は、ある一人の男の一生を追ったビルドゥングス・ロマン。しかし、なんとなく乾いた突き放し方を(特に序盤は)していて、滑稽話というか、道中記とうか、ロードムービーな趣き。お馬鹿なノリで、しかし大時代的な背景を旅しており、こちらも物語の組み立て方としてかなり勉強になった。というか、こういう物語構成の仕方、一見、演劇からは遠いように見えるが、遠い分だけ、引き寄せ甲斐があるというか、我らの作る芝居にはとても親和性があると思った。

限られた登場人物の間を行ったりきたりしながら、場所や時間が変転していく、事件が起こっていく。その中で、この話のように、登場人物自体の成長や風貌の変化を描き出せていけたら、いい。うむ。この話はかなり親和性が高い。自分の生きてる時代直近の30年史をある人物の生涯を通して描ききる、という結構もいい。こういう話つくりたい。「赤と黒」も読みたい。

 

次いで、バルザック「ツールの司祭・赤い宿」を読んでいる。バルザックは「ゴリオ爺さん」と「ゴプセック」を以前に読んだ。だいぶこの作家のリズムに慣れてきた感あり。これも戯曲的といえば戯曲的な物語。しかし上の二人の作家に比べ、目線が精緻というか微細。丁寧なデッサンの上に物語が描かれている印象。というか、まさに、キャラクターの素描(デッサン)、その人物がどういう種類の人間であるか、という説明に大量の文字数が割かれており、それが冗長といえば冗長。しかし、それ故、誰よりもその時代やその町、その集団、その人物の細部まで入っていき、細部の微細な変化から、その人物の人生の転機・転落・破滅を描き出していくことを達成している。

もう一つ、配置の妙というのも大きい。様々な階層の、様々な種類の人物を、実にうまく配置して、利害を対立させながら物語を動かす。物語自体はなんてことないシンプルな筋なのだが、周到に配置された各人物が丁寧に素描されながら動くので、読ませる。

バルザックがロシアに渡って、ゴーゴリ→ドストエフスキー、ゴーゴリ→チェーホフというラインが生まれたのだなーとか(ドスト→チェーホフではなさそう)。

やっぱり手塚治虫っぽいよなーとか。あとごまのはえっぽくもある。

こういう物語、作れるようになりたい。人間喜劇。しかしスタンダールほど即親和性はなく、まだまだこちらが修練・熟達していく必要がこちらはある。でも目指すべき一つの確実な基本形。これ目指すことはつねに念頭すべし。まだまだいろいろ読みたい。「ゴリオ爺さん」も読み返したい。以前読んだときは、一連のドストエフスキー作品の直後だったので、やや食い足りない印象が強かったが、今なら、もう少し楽しめそう。「谷間の百合」も持ってきてたはずだったけど上場に置いてきてしまったっぽい。

 

ゾラとかまで足を伸ばしたかったのだけど、ゾラも上場らしい。ない。

ので、一足飛びに、次はジュネ「泥棒日記」に参る。

そしてそこまで行ったら、一度、日本に飛んで漱石をいくつか読む予定。

四国に入る頃には、金子光晴「どくろ杯」を読みたい。

なんというか、構造だけでなく、言葉自体の呪力についても、

よくよく考えていく、みたいな流れ。

 

「対象との距離」についての稿もすすめるつもりで自分の中ではあれこれしてるのだけど、まとまって文章におこす時間がいまだ取れずにいる。けど、何も書かずにいるより、瞬発的でもそのときに書けるものを書いた方がいいなーと思い、今日は今日の読書日記。

 

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連歌、一句だけすすむ。一句だけって。ひとりでやってると、どうしてもこだわりに膠着してしまう部分があり、いまはまさにそういう展開。いいんだけどね。こだわりながらゆっくり進むのも。

集団でやってると、そういった自分内膠着も、人のセンスで軽やかにかわされたり変転するので、自分もまた仕切りなおしてその流れに乗っていこうとするので、それはそれでやはり楽しいのだなー。そんなことがわかるひとり牛歩連歌なう。

 

吹きぬける 風に波打つ 碧の田

蒸気かき分け 自転車駆ける

金色の 木々の煌き 双子山

雲くっきりと 鯨燻らす

計画は ケミカル模様 蹴り上げる

コカ・コーラの瓶 転ぶ虚無僧

五月雨を 逆さにみたら さしすせそ

真下の空に 四月が笑う

山月に 棚引く雲や 虎の声

南洋赴く 汽船の煙

カロリンの ヤップから来た 女の子

家族を想い 北へ旅立つ

砂浜に 干された海鼠よ 白昼夢

丸木舟乗り ウォレス線跨ぐ

擦れ違う あの娘の名前は ゴンドワナ

気圏の上層 また逢いましょう

そう言って 東に消えた 小惑星

微かに聴こえた 白亜の断崖